この記事の要点
- 養生とは「生を養う」の意で、健康を維持し増進すること。工事現場の養生シートも同じ語の転用です
- 江戸時代の儒学者・貝原益軒が83歳で著した健康書『養生訓』は、当時の平均寿命が40歳未満とされるなかで生まれました
- 腹八分目の由来は『養生訓』巻第三の「珍美の食に対すとも、八九分にてやむべし」という一文です
- 益軒は身をそこなうものを「内欲」と「外邪」に分け、それを慎むことで日々を整えるという考え方を説きました

「養生」とはどういう言葉か——工事現場の養生と同じ語源
工事現場に張られたブルーシートを見て「養生中」の文字に足を止めたことがある人は少なくないと思います。あの「養生」と、健康法としての「養生」は、実は同じ言葉です。精選版日本国語大辞典によれば、養生とは「生命を養うこと。健康を維持し、その増進に努めること」を指します。建築現場で資材や仕上げ面を傷や汚れから守る作業を「養生」と呼ぶのは、この「生を養い、損なわれないよう守る」という語義が転用されたものです。
生を養う、と書いて養生
養生という漢字を分解すると、「生」を「養う」と読めます。生命という、放っておけば損なわれていくものに手をかけ、保ち育てるという発想がこの言葉の芯にあります。医療行為とは少し違い、悪くなる前の日々の過ごし方そのものを指す言葉として使われてきました。
『荘子』養生主から『方丈記』まで——言葉の旅路
コトバンクに集約された精選版日本国語大辞典や世界大百科事典の記述をたどると、養生という言葉の来歴は二千年以上さかのぼります。中国では、道家の思想書『荘子』に「養生主」という一編があり、生を養う心構えが論じられました。魏の時代には嵆康が『養生論』を著し、精神を養う「養神」と肉体を養う「養形」の両面から論じています。日本での用例としては、1181年の日記『玉葉』にまでさかのぼることができ、鴨長明の『方丈記』(1212年)にも「つねにありき、つねに働くは、養性なるべし」という一文が残っています。歩き、働くこと自体が生を養う行いだという捉え方は、平安末期から鎌倉初期の人々にとってすでに馴染みのある感覚だったようです。
江戸のベストセラー『養生訓』——83歳の儒学者が書いた健康書
江戸時代の日本で、この養生という考え方を一冊の書物にまとめ、広く読まれたのが貝原益軒の『養生訓』です。公益財団法人長寿科学振興財団(健康長寿ネット)によれば、『養生訓』は貝原益軒が83歳のときに著した健康書で、当時の平均寿命が40歳未満とされる時代に、益軒自身は85歳まで生きたとされています。
貝原益軒とはどんな人か
貝原益軒は福岡藩に仕えた儒学者で、本草学(薬草や自然物を研究する学問)にも通じた学者として知られています。医学書ではなく儒学者の手による健康書であることが『養生訓』の特徴で、身体の養生と心の持ちようを分けずに論じている点に、その出自が表れています。
正徳2年、83歳の筆——なぜ売れたのか
中村学園大学図書館の貝原益軒アーカイブによれば、『養生訓』は正徳2年(1712年)、益軒が83歳のときに完成し、翌正徳3年に発行されました。平均寿命が40歳に満たないとされた時代に、83歳で筆を執り85歳まで生きた人物の言葉には、それだけで説得力があったと考えられます。健康長寿ネットが伝える教えの内容は、薄味を心がける、食べ過ぎない、夜更かしをしない、適度な運動を行う、怒りや心配を減らして心を穏やかに保つなど、生活全般に及ぶものでした。特別な薬や秘術ではなく、日々の過ごし方の積み重ねを説いた点が、幅広い読者に受け入れられた理由の一つだったのだろうと思います。
全8巻に何が書かれているか——総論から老いの養い方まで
『養生訓』は全8巻からなる書物で、総論に始まり、飲食、身体の感覚器官、病への向き合い方、薬の使い方、そして老いの養い方まで、生活のほぼ全域を扱っています。
巻立てでみる『養生訓』の全体像
中村学園大学図書館の校訂テキストによると、巻立ては次のようになっています。
| 巻 | 内容 |
|---|---|
| 巻第一・第二 | 総論(上・下) |
| 巻第三・第四 | 飲食(上・下) |
| 巻第五 | 五官(目・耳・口など感覚器官) |
| 巻第六 | 病を慎しむ |
| 巻第七 | 薬を用ふ |
| 巻第八 | 老を養ふ |
飲食にまるまる二巻を割いている点に、益軒がこの主題をどれほど重く見ていたかが表れています。
身をそこなうものは「内欲」と「外邪」
『養生訓』の総論では、養生の根本的な考え方が示されています。中村学園大学図書館の校訂テキスト(巻第一)には「養生の術は、先わが身をそこなふ物を去べし。身をそこなふ物は、内慾と外邪となり」とあります。内欲とは飲食・好色・睡眠・言語といった欲望や、喜怒哀楽など七情の欲を指し、外邪とは風・寒・暑・湿という四つの気候的な要因を指すとされています。益軒は、この内欲をこらえ外邪を防ぐことによって「元気をそこなはず、病なくして天年を永くたもつべし」と説きました。欲を完全に断つのではなく、行き過ぎを慎むという発想が、この整理の核にあります。
腹八分目の由来——「八九分にてやむべし」という原文
珍味を前にしても、八九分でとどめる
現代でもよく耳にする「腹八分目」という言葉は、『養生訓』のある一文に由来するとされています。
珍美の食に対すとも、八九分にてやむべし
中村学園大学図書館の校訂テキスト巻第三には、「珍美の食に対すとも、八九分にてやむべし。十分に飽き満るは後の禍あり」という一文があります。どれほど美味なごちそうを前にしても、八分か九分でやめておくのがよく、満腹まで食べきってしまうと後々の禍のもとになる、という意味です。原文が示すのは「八九分」であり、現代に定着した「腹八分目」という言い回しは、この教えが後世に簡潔な形で言い伝えられていく過程で定まっていったものと考えられます。
元禄のグルメブームと「控える」という提案
益軒が生きた元禄から正徳にかけての時代は、都市を中心に食文化が豊かになり、珍しい食材やごちそうが話題になった時期でもあります。そうした空気のなかで、益軒があえて「控える」ことを説いたのは、満ち足りることの魅力が広がるほど、その手前で止める判断が難しくなるという逆説を見抜いていたからかもしれません。足すことより、控えることに価値を置くという視点は、二百年以上を経た今も色あせずに読み返される理由の一つだと思います。
『養生訓』は現代に何を残したか——未病と、足すより控える発想
健やかと不調のあいだにも、濃淡がある
『養生訓』が現代に残した最大の視点は、病気になってから対処するのではなく、なる前の日々を整えるという発想です。
「病気になってから」ではなく「なる前」
益軒の教えは、症状が出た後の治療法ではなく、症状が形になる手前の生活の整え方に一貫して重心を置いています。この「まだ病気とは言えないが、健やかとも言い切れない」状態に目を向ける考え方は、現代でいう未病という言葉に通じるものがあります。未病という考え方と日々の養生の始め方では、この未病という捉え方そのものをより詳しく取り上げています。
今日の暮らしに引きつけるなら
『養生訓』が説いた内欲と外邪の整理は、江戸時代の言葉のままでは現代の生活にそのまま当てはまるわけではありません。ただ、「足りないものを足す」より「行き過ぎているものを控える」という順番で自分の暮らしを眺め直す視点は、今日でも参考にしやすい姿勢だと思います。季節ごとの暮らし方に関心があれば、土用の過ごし方にみる季節の養生や二十四節気と旬の食べものも、控えると足すのバランスを考えるうえで手がかりになります。甘味との付き合い方の歴史に興味があれば日本人と甘味の千年史、朝の過ごし方であれば朝の光と体内時計の話も、同じ「日々を整える」という軸でつながっています。
なお、はちみつを含む食品について触れる際には、1歳未満の乳児にはちみつを与えてはいけないという注意があります。乳児ボツリヌス症のリスクがあるためで、消費者庁や厚生労働省が周知している重要な注意事項です。
よくある質問
Q:養生とはどういう意味ですか?工事現場の「養生」と同じ言葉ですか? 精選版日本国語大辞典によれば、養生とは「生命を養うこと。健康を維持し、その増進に努めること」を指す言葉です。工事現場で資材や仕上げ面を保護する作業を指す「養生」も、同じ「損なわれないよう守り養う」という語義が建築の場面に転用されたものです。
Q:腹八分目の由来はどこにありますか? 中村学園大学図書館の貝原益軒アーカイブが公開する校訂テキストによれば、『養生訓』巻第三に「珍美の食に対すとも、八九分にてやむべし。十分に飽き満るは後の禍あり」という一文があります。この「八九分」という表現が、後世に「腹八分目」という言い回しとして広く定着したと考えられています。
Q:『養生訓』にはどんなことが書かれていますか? 全8巻からなり、巻第一・二が総論、巻第三・四が飲食、巻第五が五官、巻第六が病を慎しむこと、巻第七が薬の用い方、巻第八が老いの養い方を扱っています。総論では、身をそこなうものを飲食・好色・睡眠などの「内欲」と、風・寒・暑・湿の「外邪」に分け、これらを慎むことで元気を損なわず天寿をまっとうできると説かれています。
六角門は、京都で養蜂を軸にした健康ブランドとして準備を進めています。まだ蜜蜂を迎える前の段階で、巣箱も採蜜も、これからのことです。『養生訓』のように「なる前」の暮らしを整えるという考え方は、私たちがこれから向き合っていきたい姿勢そのものでもあり、養蜂と養生という言葉の重なりも含めて、引き続き調べを深めていきたいと思っています。